熱中派のご主人と
しっかり姉さん女房。
このストーリーの主役は、豊島区のマンション3階に暮らす篠澤さんご夫婦。ご主人は30代で会社勤め。パソコンに、カメラに、読書、マラソンと多趣味ですが、没頭してしまうのが欠点、と自らの性格を分析しています。
奥様は、しっかりお姉さんタイプ。おふたりを巡るリノベーションストーリーには、夢と思いやりに溢れた心暖まるエピソードが詰まっています。それは、 “人と時をつなぐ贈り物”です。

住まいのルーツは、終戦直後。
池袋から東武東上線で一駅。そこに北池袋という町があります。大都市・池袋の喧噪はここにはありません。戸建住宅に混じって低層マンションがちらほら見えます。独特の「曲がりくねった道」は、かつては農地の広がる、のどかな一帯だったのかな?と想像させられます。
篠澤さんのご祖父母が、この土地を購入したのは終戦直後のこと。静かで、日当たりのいい土地を求めてこの町と出会い、念願の戸建て住宅を建てました。その後、子ども、孫と、家族に恵まれるうち、40年ほど前に、3階建てマンションへ建て替えました。しかし賃貸にはせず、日当たりのいい3階にはご祖父母が住み、篠澤さんのご両親が2階に暮らすという、家族それぞれのプライバシーを大切にした独立型の二世帯住宅として使用しました。篠澤さんはここで生まれ育ちました。
「わたしが小さかった頃は、もう少し商店街もあって賑やかだった印象でしたね。池袋が近いせいか、買い物客をみんなそっちに取られて、いまやお店もほとんどなくなってしまいました。まあおかげでいまはとても静かで、住むに快適なところですよ」
年を経て、篠澤さんは独立し、実家を離れ、5年前に結婚をしました。
主がいなくなった部屋、
住めなかった理由。

篠澤さんの結婚と時を同じくして、実家マンションにはひとつの変化がありました。ご高齢のおじいさまが家を離れ、施設に移ったのです。これに伴いおじいさまは、当時社宅マンションで結婚生活を始めた篠澤さんに「自分たちが使っていた3階を使いなさい」といってくれたそうです。
「ふたりで住むには十分の広さもあるし。これだけのいい環境があって、空いたままにしておくのはもったいないから」と。ところが、篠澤さん夫婦は、このありがたい申し出に首を振りませんでした。頑なに断り続けました。その理由とは・・・
「いったんは施設に移ったおじいちゃんが、人生の最後の時間を、またこの家で過ごしたいのじゃないかな?って思ったんですね。ここは建物も間取りも古いですが、おじいちゃんにとっては長年暮らして愛着のある住まいですし、また戻ってきたいと思う時があるかもしれない。そう思うと、その時のために断るべきだと・・・。妻とも何度も話し合いましたが、同じ考えでした」それから数年、こうしておじいさまの部屋は、そのままの姿で主の帰りを待つことになりました。
転機が訪れたのは4年後でした。
「おじいちゃんが、突然“家具の量販店”に連れて行ってくれと言うのですね。行ったことがないから見てみたい、と。それで、おじいちゃんと妻もいっしょに出掛けて、途中でお昼をしようと入ったレストランで、改めて言われたのです。“もういいから住んで”、“部屋をふたりで快適に過ごせるよう、好きなように創り替えなさい”と。その時のことは、いまでもはっきり覚えているのです。」それまですれ違っていた、おじいさまの思いやりと、篠澤さん夫婦の思いやりがひとつに溶け合った瞬間でした。
「大切に引き継いでいこう!」(ご夫婦)
篠澤さん夫婦は遂にリノベーションを決心します。祖父母からの“贈り物”に、ふたりの時計の針は勢いよく廻りはじめました。
「リノベーションて、こんなものなのかなあ」